おはようございます。
皆様のお陰で息子も1/1に1歳になりました。
最近は特に絵本が好きで本棚から持ってきては「読んで」と意思表示をしてきます。
そして膝の上のちょこんと座ってきて可愛すぎます。
その時に私が大事にしていることが1つあります。
それは「絶対に断らないこと」です。
私は食器を洗っている最中でも絶対に断りません。
「え?そんなの無理な時は無理じゃね?」と思いますよね。
でも無理じゃないんです。
好奇心が育ってきているこの時期に、断ることで好奇心の芽が摘まれてしまいます。
そして「パパ、ママは僕よりも大事なことがある」と認識し、絶対的な安全基地が揺らいでしまいます。
するとその安全基地を確保するために強硬手段を取ります。泣いてわめいて駄々をこね、自分を優先させようと必死になります。親もその姿に手を焼き、苛立ち、ますます状況が悪化します。
最後に親が折れると子どもは「こうすることで安全基地を確保できる」と学びます。
これでは親も子も誰も得しませんよね。
「だったら最初から譲歩すればいいじゃないか」となると「仕方なく譲歩しただけで無理なものは無理」とさらに余計な軋轢が生まれそう。
そんな話は不毛です。
結論です。
大事なのは安心感。
絶対に断らないその極意は
一言目に必ず「いいよ」と言うことです。
そして今すぐ読めないなら
「いいよ。だけど今は〇〇をしているから少し待っててね。」と待つ理由を伝えます。
こうすることで子どもは「受け入れてもらった」という安心感を持つことができますし、安心して待つことができます。
ポイントは一言目に「受容の言葉」ですよ。
ちなみに
「1歳で言葉なんて通じないのに意味あるの?」と考えるのは危険です。
その理由は3つあります。
1つ目
「言葉が“わかるようになってから”言葉で伝える」は順番が違います。
「言葉で伝えるから言葉が“わかるようになる”」ということです。
この“できるようになってから”というマインドがあると、子どもが次に進もうとしているのに、それを「まだ早い」と結果的に阻害してしまうことになります。
2つ目
この言葉の奥底には差別意識が潜んでいます。
もっと具体的にこの言葉を書くと「1歳で言葉なんて通じるわけがないから、丁寧に言葉で伝えるだけ無駄。無理なものは無理と態度で示せばいい。」という他者の人権を軽視する姿が潜んでいます。
もちろん誰もが「そんなつもりはない」と言うと思います。しかし、自分の気づかない、気にしたこともなかったところはどんな潜在意識があるかわかりません。それを紐解き、言語化して改めて自分の価値観を形成して欲しいと思います。
3つ目
丁寧に伝える“練習”をする必要がある。
ある時「言葉がわかるようになったし、話せるようになったから今日から言葉で丁寧に伝えよう」となったとします。(もちろん子どもは突然言葉がわかるようになるわけでも、流暢に喋れるようになるわけでもありません)しかし、今まで丁寧に伝えることをおろそかにしてきた人が、突然丁寧に伝えることができるようになるでしょうか。残念ながら絶対にありえません。丁寧に伝えるのは正直めんどうくさいです。伝え方のレパートリー持たないと難しく、その時々の自分の感情に左右されない、感情のコントロールする力、何度も言って聞かせる忍耐力など様々な力が必要です。それを「はい、今日から使います」というのはできません。
日々の練習の積み重ねで少しずつできるようになり、子どもが話せるようになった後も同じく成長をしていくのです。
最後に大事なことをお伝えます。
今現在できているかどうかを知ることは大切ですが、できていないからと言って落ち込む必要はありません。今から少しずつ成長すればいいですし、その姿を見せるのも親の役割だと思います。
子どもが「できない」と落ち込んでいる時にきっと「最初からできる人はいないよ。さっきより少しできるようになってるよ。大丈夫だよ」と励ますのと同じように、ご自身を励ましてあげてください。
そんないつまでも成長する親の姿を見せてあげて欲しいと思います。
ではまた!